ISSUE 001 · GLOBAL WORKFORCE

Japanese Language Is Not a Skill. It Is Infrastructure.

Language is more than an ability required for work. It is part of the infrastructure that allows people to live, belong, and connect.

A quiet urban street in Japan at night

言葉は、働くための「能力」だけではない。

人がその社会で生き、誰かとつながるための基盤なのだと思う。

ある夜、行きつけの店で、一人の青年に出会った。

ネパールから日本に働きに来ているという。

会社の上司と一緒に店を訪れていて、店のマスターが私たちを紹介してくれた。

私は英語と、彼のカタコトの日本語を交ぜながら話した。

最初は何気ない会話だった。

けれど、話してみると面白かった。

ネパールの雄大な自然のこと。
故郷の食べ物のこと。
日本での生活のこと。

そして、しばらくすると彼は自分の夢を話してくれた。

「2年後、日本で貯めたお金を持ってネパールへ帰って、両親に家を建ててあげたい。」

そのときの彼の表情を、私は今でも覚えている。

遠い国から日本へ来て、働き、お金を貯め、その先に家族の幸せを描いている。

とても純粋な夢だと思った。

彼の言葉は、届いていたのだろうか

その夜、私にはもう一つ、気になることがあった。

彼と、一緒に来ていた日本人の上司との関係だった。

もちろん、私が見たのはほんの数時間にすぎない。

その会社のことも、二人の日常の関係も、私には分からない。

それでも、彼が何かを話したとき、その言葉が十分に受け止められず、聞き流されているように私には感じられる瞬間があった。

上司と部下。

日本人と外国人。

日本語を自由に話せる人と、まだ十分には話せない人。

そこには、単なる言葉の違いだけではない距離があるように感じた。

そして、約1か月後。

店のマスターから、思いがけないことを聞いた。

「あの子、会社に来なくなったらしいよ。」

彼は職場から姿を消していた。

何があったのか、私は知らない。

職場での人間関係が理由だったのか。

言葉だったのか。

仕事だったのか。

あるいは、私の知らない事情があったのか。

だから、その理由を決めつけることはできない。

ただ、その話を聞いたとき、あの夜の彼の笑顔を思い出した。

そして、考えた。

私には楽しそうに故郷の話をしてくれた彼は、職場では自分のことをどれくらい話せていたのだろう。

困ったときに、

「困っています」

と言えただろうか。

分からないときに、

「分かりません」

と言えただろうか。

そして、その言葉を誰かが受け止めていただろうか。

日本語は「スキル」なのか

外国人が日本で働くとき、日本語能力はしばしば「スキル」として測られる。

N3を持っている。
N2を持っている。
日常会話ができる。
業務指示を理解できる。

もちろん、それらは大切だ。

けれど、私はそれだけでは足りないと思っている。

日本語は、試験に合格するためだけの能力ではない。

困ったときに助けを求めるための言葉。

自分の考えを伝えるための言葉。

失敗したときに、その理由を説明するための言葉。

同僚と笑うための言葉。

自分の夢を誰かに話すための言葉。

そして、ときには、

「もう限界です」

と伝えるための言葉でもある。

だから私は、日本語を単なる「skill」として捉えることに違和感がある。

Japanese language is not a skill.
It is infrastructure.

道路や水道、電気が、人の生活を支えるように。

言葉もまた、人が社会の中で働き、暮らし、誰かとつながるための基盤なのだと思う。

変わる必要があるのは、外国人だけではない

しかし、これは「外国人がもっと日本語を勉強すればいい」という話ではない。

受け入れる側にも、問いがある。

分からないと言える職場だろうか。

質問したときに、嫌な顔をされないだろうか。

拙い日本語でも、最後まで話を聞いてもらえるだろうか。

日本人側も、相手に伝わる言葉を使おうとしているだろうか。

異なる文化や習慣を、

「日本ではこうだから」

の一言で終わらせてはいないだろうか。

私たちが「日本語の問題」だと思っているものの中には、実は組織の問題が隠れているのかもしれない。

子どもたちから教えてもらったこと

私は長く、教育の世界で子どもたちと向き合ってきた。

そこで教えてもらったことがある。

人は、安心できる場所でこそ、間違えることができる。

そして、

間違えることができる場所でこそ、学ぶことができる。

これは、子どもだけの話ではないと思う。

外国人が日本語を学ぶときも、新しい職場で仕事を覚えるときも、同じではないだろうか。

どれほど日本語を教えても、

「間違えたら笑われる」

「質問したら迷惑をかける」

「こんなことを言ったら怒られる」

と思う環境では、人は言葉を使えなくなっていく。

だから、言葉を教えることと、言葉を使える環境をつくることは、本来、切り離してはいけない。

Language. Workplace. Community.

必要なのは、日本語教育だけではない。

人事制度だけでもない。

そして、外国人本人の努力だけでもない。

私は、

Language.
Workplace.
Community.

この三つを、一つの環境として考える必要があると思っている。

言葉。

職場。

そして、その人が暮らす地域社会。

人が日本へ来て、働き、暮らし、

「ここでやっていける」

と思える環境そのものを設計する。

これから日本が、より多くの外国人とともに働き、ともに暮らす社会になっていくのなら、

「外国人をどう日本社会に適応させるか」

だけではなく、

「私たちは、どんな社会を一緒につくるのか」

という問いが必要になる。

受け入れる側も変わる。

企業も変わる。

地域も変わる。

その間をつなぐインフラの一つが、言葉なのだと思う。

「なんとかしたい」から始まった

あのネパールの青年が、その後どうしているのか、私は知らない。

ネパールへ帰ったのか。

日本のどこかで働いているのか。

あの夜話してくれた、

「両親に家を建てたい」

という夢に、今も向かっているのか。

分からない。

でも、彼との出会いは、私の中に一つの問いを残した。

志を持って日本へ来た人が、その志を失わずに働き続けられる社会を、どうすればつくれるのだろう。

私はまだ、その答えを持っていない。

だから、現場へ行きたい。

人に会いたい。

日本語を教えたい。

企業と話したい。

沖縄から日本へ。
日本からASEANへ。

そして、考え続けたい。

文化や習慣、言葉の違いによって生まれる距離を、誰かが埋めなければならない。

あの日、私の中に生まれたのは、もっと単純な感情だった。

「なんとかしたい。」

その小さな衝動が、

いま、私がこれから歩こうとしている道につながっている。

答えは、まだ完成していない。

だからこそ、経験し、問いを持ち、それを言葉にしていきたい。

Experience becomes philosophy
when we give it words.

NAOKI JOURNALは、その問いの続きを書く場所でありたい。

NAOKI JOURNAL · ISSUE 001

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